年代 |
出来事 |
1908 |
6/29、マサチューセッツ州、ケンブリッジに生まれる。
父:ブリューワー・アントン(南スウェーデン移民)郵便局員
母:アンナ・マーガリータ(ストックホルム出身)教会オルガン奏者 |
1919 |
New England Conservatory of Music
にてピアノと理論を学ぶ |
1925 |
ケンブリッジ高校、ラテン高校にて作曲、オーケストレーション、指揮法を学ぶ。
同年ハーバード大学へ進み、専攻はドイツ語とスカンジナビア語。和声をウォルター・スパルディング、エドワード・バランタイン、フーガと対位法をウィリアム・C・ハイルマン、オーケストレーションをエドワード・B・ヒル、ウォルター・ピストンに師事する。 |
1929 |
「優等」の成績で卒業。ジョルジュ・エネスコに師事 |
1930 |
ラドクリフ大学で音楽を教える。また大学院でドイツ語とスカンジナビア語の研究も続ける。(34年まで) |
1931 |
ハーバード大学ブラスバンドの指揮者になる。(35年まで) |
1936 |
「Harvard
Fantasy」 「A Medley of Harvard Songs」をアーサー・フィードラーの依頼で自ら編曲、指揮した。これがボストン・ポップス・オーケストラでの初アレンジとなる。NYへ引っ越す。 |
1938 |
ジャズ・ピチカートがアーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップスで初演。大成功☆ |
1942 |
Eleanor Firke と結婚
同年アメリカ陸軍入隊。アイスランドに配属後語学力を買われ、ワシントンD.Cにある国防省、スカンジナビア課に配属される。(第二次世界大戦中、46年まで) |
1945 |
プロムナード、シンコペイテッド・クロックを自身の指揮、ボストンポップスで初演。 |
1946 |
ボストン・ポップス専任のオーケストレーター、アレンジャーとなる。 |
1949 |
コネチカット州ウッドーバリーに妻子とともに引越し。 |
1950 |
Decca Recordsより最初のレコーディング開始。 |
1951 |
朝鮮動乱が起こる。陸軍士官として情報局に勤務。 |
1952 |
除隊。ブルータンゴ発表。ミリオンセラーを記録。 |
1954 |
ボストンポップスおよび他のオーケストラとアメリカ、カナダで共演。 |
1958 |
唯一のミュージカル「ゴールディ・ロックス」が10/11、NYで初演。 |
1975 |
5/18肺がんのためウッドバリーの自宅でその生涯を閉じる。享年66歳。 |